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2010.7.11 映画

動くな、死ね、蘇れ!

先日に引き続き、下高井戸シネマでヴィターリー・カネフスキー監督の「動くな、死ね、蘇れ!」を観た。びっくりした。ストーリーがどうとか、こもごもを乗り越えて、「すごいもの観たなあ」と思った。

ソビエトの、ものすごく貧しい炭鉱の街に住んでいる少年と少女の物語。少年はわんぱく小僧が行き過ぎて、色んな問題を引き起こして、遠く遠くと逃げて行く。その行動の表や裏に、必ず少女の存在があって、助けてくれたり、一緒に行動したりする。「スタンド・バイ・ミー」をロシア人が作ったらこういう暗い映画になるのかな、と最初は思っていたんだけれども、どちらかというと「大人は判ってくれない」のほうが近い感じがする。どこか、切羽詰まった、なにか爆発しそうな心的衝動を抱えている感じがする。そのモヤモヤした静かな衝動が、映画ではとても輝いている。

この作品は、自伝的な作品だと聞いた。最初と最後のシーンで、「撮影者」の存在がクローズアップされるのは、そういう意味なんだろう。フィクションと、ノンフィクションの、ちょうど真ん中に立っているという感じ。これはフィクションですよ、という宣言は、けっきょく過去や記憶というものは、主観的な現象ですよと言っているようなものだ。その突き放し方というか、距離のとりかたが好きだ。

同じ言葉を繰り返してしまうが、とにかく「衝動」という言葉が頭をめぐる。きちんと喜劇としての基盤がある中で、かなりパンクな(と感じたんだけれども)映像の並びがある。ストーリー展開はあるんだけれども、印象としては映像体験というよりは、音楽体験、といったほうが近いような気がした。とにかく矢継ぎ早に、いろんなものが飛び出してくる感じだ。しかもその中に、静けさと、騒がしさとがあって、たぶん静けさのほうが多いのかなあ、実に緊張感がある。警察に追われながら、物置のかげみたいなところで、少年がタバコを吸うシーンが好きだ。反抗心や虚勢と、おっくうさと絶望が渦巻いている。とても静かなシーンだったが、まさに「嵐の前の静けさ」といった様相だった。