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2007.9.7 映画

SICKO

10日くらい前の話だが、マイケル・ムーア監督の新作『SICKO』を見に行った。公開から2,3日後に見に行ったのだが、びっくりするぐらいにお客さんがいなかった。おととい、日本の有名なドキュメンタリー作家である佐藤真さんが自殺したというニュースにひどくショックを受けたが、新聞での扱いは小さなものだった。その扱いの小ささと、SICKOの客の少なさを見て、いくらブームとはいっても、やはりドキュメンタリーってのは地味なんだな、と思わずにはいられなかった。

今回は米国の医療・保険の問題をターゲットにして、保険にきちんと加入している”善良な”米国人が、いかに医療において不遇を被っているかというところを暴いている。米国には国民保険というものが存在しないので、市民はそれぞれ自分で、営利の保険会社と契約する必要がある。しかしこの保険会社というのがどのように利益を上げているかというと、保険加入者の”健康面でのあら捜し”を徹底的に行ない、できるかぎり医療の執行を拒んで出費を減らしたり、処方する薬代をバカ高くしたりすることで利潤を得ているのだという。

そこでムーア氏は、保険制度が充実しているカナダ・イギリス・フランス・そしてキューバへと飛び、米国の制度と比較する。この比較の仕方が非常にパフォーマンス的で、この作品の核というか、いわゆるムーア節が炸裂している。イギリスのNHSという無料の国民医療施設で、ムーア氏が「医療費はいくらか?」と出会う人ごとに聞き続けて、ことごとく嘲笑されるシーンは象徴的だ。

最後のほうで、米国人の患者たちがムーア氏に連れられて、キューバに行く。そのうちの一人は、アメリカの保険制度のもとで何万円もの治療薬を処方されていたのだが、キューバで同じ薬を買ってみると、なんと5セントだった。それを見て、この患者がおいおいと泣くのだ。安価で薬が買えて、嬉しくて泣いているのではなくて、それはあまりの悔しさゆえの涙だった。米国人の医療における負担がいかに重いものであるか、強く実感できたのはこのシーンだった。

ただ、この作品の弱さは、医療問題はあくまでも米国だけの問題であって、解決策はすでに海外に存在しているというところだったと思う。取り上げる医療問題は、米議員が保険会社の献金をもらっていたり、国民皆保険というと「社会主義的だ」と嫌悪感を表す米議会の土壌があることを差し引いても、基本的には制度的な問題という内容になっている。ムーア氏が現状を嘆き、怒りの声を上げることには価値があると思うが、それはあくまでも米国内だけに向けられたものだ。たとえば日本人である僕は、この問題に同情はできるが、問題を共有することが難しい(とはいえ、日本でも保険や医療の問題は出てきているが…)。

この点が、銃社会の狂気を取り上げた『ボーリング・フォー・コロンバイン』の力強さと違った点だろうと思う。あの作品も、「米国人による、米国人のための作品」という意味では同じだが、しかしその中でも、米国が海外の戦争に首を突っ込む根底の部分を暴いていて、アフガン戦争、イラク戦争という時事的な背景も含めて、決して他人事の話ではなかったし、テーマ設定に相当の普遍性があったと思う。

こういうことを思わせるのは、本作品には政府や保険会社側の声明の余地が与えられていないことに関係があるだろう。彼らも何らかの思想や信念のもとに、今の保険制度を敷いてきたのかもしれない。そのあたりを聞けることができたなら、問題の根深さをもう少し認識できたのかもしれないな、と思える。結果、米国の社会保障に関する考え方の対立が明らかになったかもしれないし、そうなったら、本作品が少し触れているような、市民にとっての「豊かさ」や「幸福」とは何なのか、といった問題についても、より深く洞察することができたように思える。

そうは言っても、闇雲にブッシュの悪口を言っただけの『華氏911』よりは、少なくとも面白かった。彼のヒューマニズムというか、医療の被害者たちに対する優しさが作品全体ににじみ出ていたし、ひとつひとつアクションを起こしていく姿は勇敢なものだったと思う。どこかで米国内では絶賛だったという報道を見たが、彼のように大きな声を出してくれる存在は、社会的弱者の背中を、確実に押してくれているんだろうな。やはり、彼は映画監督という地位を上手に操る、パフォーマーなのだ。