食べたことのない
昼寝をしたら、長い昼寝になってしまった。大宮八幡宮のそばのマンションに住んでいて、そこはパラグアイだった。パラグアイでは未だに、ガムテープをぐるぐるに巻いたものをボールにして、サッカーに興じる少年がいた。目覚めて思ったのだが、たぶん中田英と同じ夢を見ていたんだと思う。
カレーを作ろうと思い立って、何ヶ月か前に、下高井戸の自然食品ショップでジャケ買いした、高度経済成長期に発売された雰囲気の漂うカレールーを入れて、ご機嫌にかきまぜた後、最後の試食をしたら、一切味がなくて驚いた。味のついていない、ただのカレー粉だった。あの黄色い缶「インデラ・カレー」以来の事態だった。動揺して塩をかけたら、思った以上に大量に投入されてしまった。「塩スープ」としか形容しがたい味になってしまい、あわてて水を足したり、コンソメを入れたり、ソースをかけたり、頭をやわらかくして黒糖を入れたり、チョコレートを入れたり、蒲焼きのタレを入れたり、最後のほうは目についた液体は入れてみようという考え方になってしまい、にがりを入れたり、シークァーサーを入れたりしていると、まったく今まで食べた事のない味のカレーができあがってしまった。しかも水を足した手前、当初の想定の2倍の量ができあがってしまった。
難しい事に、決してまずくはないのだ。そして、カレーとしてのアイデンティティみたいなものも、あるのだ。でも、すごくおいしいかと言われると即答はしにくい感じで、目をつぶって食べて、「これはカレーか?」と尋問されれば、そうかもしれないけど、そうでないかもしれない、でも強いて言えばカレーかもしれない、というような味なのである。もう三十年弱生きてきて、久々に、これは食べた事ないなあ、という味だった。そう考えると、もう少し評価されてしかるべきものだったのかもしれない。なぜか、簡単に食べ尽くしてしまった。