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2014.8.10 日常日記

まともさについて

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最近はこれからの働きかた、大きく言うと暮らしかたについて考える時間が多いです。停滞を感じるときにできることは、ぴんと張った膜のどこかに針を刺すように、均衡を破るアクションを起こすこと。そのいくつかの行動のひとつが設備投資で、膜に空いた穴は大幅に減る手元の資金。

そうして届いた新しいPCの設定は、案外時間がかかりました。メモリ増設後のビープ音に心臓が止まりかけつつ(一枚、ちゃんと挿さってなかった)ほぼほぼ終了。この投資が実りある結果をもたらしますように。

できるだけ自分が“まとも”であるように、と考えています。社会的なこもごもの要求やアピールをするには、まずもって自分がまともであることが求められるのではないか、と感じさせられる出来事がいくつかありました。そのまともさというのは、生真面目さとか、自分の行動や選択を束縛するような息苦しいものではなく、多分「後ろめたさがない」みたいなことが近いかなと考えています。小さなセコい考え方や、ちょっとしたズルみたいなことが、長期的に見て、自分の足を引っ張る日が来るような気がしています。それを振り返って、ひとつひとつ問題を修正している日々です。

いま読んでいる東浩紀氏の『弱いつながり』という本には、自分を変えるのではなく環境を変えてみよう、みたいなことが書かれていますが、おそらく自分が今取り組んでいることも同じようなことだろうと考えています。環境というには小さなことが多いですが、ほんの少しずつ、立っている場所を”移動”している感じです。

こうして言葉にするとかなり息苦しい生活をしていそうですが、毎日サッカーゲームしたり焼酎飲んだりしています。サッカーゲームでは監督を解雇されました。現実の逃避としてのゲームの世界で社会の厳しさを突きつけられています。