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2004.3.3 日常日記,

ひきこもりについての僕の回想

ひきこもり文化論
「ひきこもり文化論」という本を読んだ。これは、斉藤環さんという精神科医が書いた本で、実際の「ひきこもり症状」である患者との交流をもとに書いてあるので、「通説はこうだが、実際はこうである」というかたちで、思い込んでいることが次々と覆されていくさまがおもしろかった。



たとえば、ひきこもりはインターネットによって改善するケースが多い、らしい。僕は2ちゃんねらーは引きこもりだとばかり思っていたけれど、そうではないらしい。ひきこもりほど、「ひきこもりはネットにはまる」という通説に当てはまることを拒絶する傾向にあるんだとか。彼が言うには、ひきこもり症状の人は、とても交流に飢えている状態なので、きっかけさえ掴めれば、あとは自然に社会に戻っていくことができるらしい。インターネットはそのきっかけになりうるということだろう。



本を読みながら、僕は中学のときの友人のことを思い出した。 中学のときの友人は、いくつかの原因から、中学2年のときから学校に来なくなってしまった。不登校とひきこもりというのがどう違うのかは明瞭ではないけれど、まあ、ひきこもりだった。僕は中学3年の秋も終わる頃、突然彼から電話をもらった。「勉強を教えてくれないか」と。



小学校のときから彼とはけっこう仲が良かったので、このお願いを断る理由は無かった。もちろん僕も自分の受験が差し迫っているということは若干ネックだったが、それよりも一年間も音信が無かった友人からのコンタクトが、単純に嬉しかった。実際、彼の学習進度はかなり遅れていた。1年のブランクは、彼の実力を小6〜中1程度にまで落としていた。彼は「高校に行きたい」と言った。塾にも行けず、添削教育も続かなかった。誰かに頼むしかなかったんだろう。



彼のところには、平均して週に1,2回行った。驚いたのは、彼が洋楽に傾倒していたこと、絵を描き溜めていたことだった。その必死なことに驚いた。彼の家で、当時流行っていたジャミロクワイを全部聞かせて貰ったし、クィーンだの、ジョンレノンだの、クリームだの、ローリングストーンズだの、まあ定番ばかりだったが、とにかく毎週毎週どんどん増えていくさまが、僕には驚きだった。そのうちまったく認知しない音楽が増えていって、家に行くたびに音楽の話をされた。



ある日の放課後、担任がクラスの前で、僕の話をした。つまり僕が彼の家に行って勉強を教えているという話だ。それは素晴らしい善行だ、親からも感謝の言葉をもらっている、みたいな話だったと思う。でも善とか悪とか、エライとかえらくないとか、そういう問題じゃあないだろうというところがあった。違和感と居心地の悪さがあり、嫌な気分だった。



その後だったと思うけれど、「はやく学校に来て、一緒に卒業しようね」みたいな色紙を渡しに、学級委員らが彼の家に行ったことがあった。そのとき、僕が彼と接触があるということを理由に、その学級委員集団に同伴させられた。あのとき玄関のドアを開けた彼の、僕らに見せた、怒りにも似た表情は、なかなか忘れることはできない。彼は僕らを完全に拒否した。僕はあのとき、「やってしまった、今日来るんじゃなかった」と、こころから思った。たぶんあの訪問は、彼をかなり傷つけただろうと思う。僕らは、あまりにも無神経だったのだ。あんなことをされたら、もう彼は戻れなくなるということは、少し考えれば分かることだった。



決定的に彼がもう戻れないと確信したのは、たしか2学期の期末試験のときだった。その試験をしないと、とにかく卒業できない、ということだったか、詳しいことは忘れたが、彼は一日だけ学校に試験を受けに来た。あのときの、彼のまわりだけ空気が違う感じは、はっきり言って異様だった。皆、彼を避けて通る。話しかけもしない。たしかに彼の無愛想な表情が、「俺に近づくなオーラ」を発していたというのもある。彼もどうしていいのか分からなかったのだ。彼に話しかけに行く僕の背中にあたる、妙な視線も痛かった。これは一体なんなのだろうと思った。僕は、全部嘘なんだなあと感じた。「早く学校に来て欲しい」「みんなで卒業しよう」・・・そんなのはみんな嘘だと。本当は、彼のいるぎこちないクラスを喜ぶ人間なんて、殆ど居ないんじゃないかと。けっきょく、言葉少なげに彼は帰った。彼はその翌日の試験には来なかった。



僕はその後も彼に呼ばれた。年が明け、1月もすぎ、2月になるとますます呼ばれた。彼は、神奈川県民なのに、都立高校を狙っていた。僕は彼の、あえて”都立高校”をねらうところに、ちゃんと学校に戻りたいと言う強い熱意を感じた。誰も自分のことを知らないところで、一からスタートし直したい、それなら出来る気がする・・・、きっとそう思ったんじゃないか。そこには友人らと音楽やギターをパイプにして楽しく話している彼が、笑っているはずなのではないか。僕も、たぶん彼が戻る方法はそれしか無いんだと思っていたので、とことんまで支援しようと努力した。しかし、やはりブランクは取り戻せず、都立高校は失敗。しかし彼の復帰願望は思った以上に強く、それから県立の夜間高校進学を希望し、ようやく合格した。合格発表は、ふたりで一緒に見に行った。そのときの彼の晴れ晴れした表情がなんともすがすがしくて、嬉しかった。同時に発表された得点を見ると、実は半分もとれていなかったのだが、それでも合格にしてくれた夜間高校の懐のでかさを、僕はほんとうにありがたいと思った。



僕は高校生活が想像以上にハードで、進学後は彼と会うことはほとんど無くなってしまった。それでもたま〜に会ったり、折に電話をしたりするなかで、どうやら順調にやっていることが伝わってきた。ほんとうに良かった。まあ別に何かが終わったわけじゃないんだけれどね。乗り越えた感じがよかった。



とまあ、書き出すと終わりまで書かないといけなくなってしまい、長くなってしまった。とにかくこの本は、そういう僕の記憶をつついてくれた。この本を読むと、当時のいろいろと重ね合わせて、納得する部分が多い。例えば、「ひきこもり症状の人は、ひきこもった自分に対して傷ついてしまう」というくだりは、まさにその通りだろうと、つまりそこを理解しないと先には進めないだろうということは、実際に思ったことでもある。



僕が具体的に言えることは、「会うための言い訳をたくさんつくる」ということは、いわゆる引きこもり症状の人には有効なのではないかということだ。例えば、CDや漫画の貸し借り。借りれば、返さないといけない、というのは次に会うための絶好の言い訳になる。僕はこれで、一時声をかけづらい時にずいぶん助けられた。まあ僕のは一事例なので、普遍的なものではないのだろうけれども。



この本では何度も強調されているけれど、ひきこもりは決して「病気」ではない。ただの「状態」を指す言葉である。妙に病的扱いしたり異端扱いすることが、ますます変な正義や変な道徳を生み出して、もとに戻りにくい状況を生み出しているのではないかと思う。1年後にひょっこりやってきて「やあ」と言ったら「やあ」と返ってくる、そんな感じだったらいいのになあと思う。