僕の好きな先生。
久しぶりに日記らしい日記を書こう。
最近は何をしているのかと言われれば「もじあるき」を作っているのだが、延々と作っているとさすがに疲れる。オンエアは不定期かつ単発なのでのんびり作っているように思われるのだろうが、作っているほうとしては日々が修羅場というか、休みという休みがない。なにかをゼロから作るのには膨大な労力が必要なのに、テレビというメディアは水道を流しっぱなしにするように、朝から晩まで毎日毎日たれ流しである。自分が作ったものも、あっという間に流されてしまう。その不均衡の中で、よく分からないスケジュールを強いられている。強いられているというか、そのスケジュールに準じたほうが誉められるんだろうなというスケベ優等生心が自分にどこかムリをさせてしまった。
人はそれほど情報インフラを必要としているんだろうかと考える。心底、テレビが24時間恒常的に面白いコンテンツが流れていてほしいものなんだろうか。インターネットが常時高速で接続されているのは確かに便利だが、必要かどうかと問われると別にそれが15時間くらいでも良い気がするし、そうなったら生活もそれに順応するような気がする。無くてもいいものが当たり前のようにあるから、それが必要かどうかが判断される前に「あるようにしろ」という無意味な需要が発生する。そのゴミためみたいな需要で食わせてもらっている僕が言うのもなんだが、それは果たして必要なんだろうか。明らかに供給とのバランスがおかしい気がしてならない。
前にもこういうことを書いていたら某所から検閲みたいなことがあったのだが、正直いまはそういう圧力がどうでもいい。僕は言いたいことを書くし、そのために自分のドメインを取りサーバを維持している。時代は、自分も自分というひとつのメディアを持つことを可能にしてくれた。そして、忌野清志郎が居なくなってから、「ただ思ったことを言う」ということの、とてつもない大事さを思うんだ。