東京闇市興亡史
最近読んだ中でもっとも面白かった本は、猪野健治という人の「東京闇市興亡史」という本。
別にトタン屋の絵を描いたからではないが、闇市には興味がある。いまある町や、文化などの源流をたどっていくと、戦後闇市の社会というのは、あるひとつのターニングポイントになっただろうからである。
いま栄えている町の基盤には、やはり闇市があるようだ。たとえば昔から新宿は栄えていたのかもしれないが、戦後すぐ(2日後)には、ある人の呼びかけで新宿にわっさわっさと失業者が集まり、大規模な闇市が広がっていたというのである。そして敗戦8日目には新宿の東口あたりを「新東京の最健全な家庭センターにする」という計画書が出され、中央に歌舞伎座という建物を建てようとしたが頓挫した。これがいまの「歌舞伎町」という名前の由来なのだそうだ。街というのはこういうふうに生まれるんだと感慨深く読んだ。
次に戦争に負けた日本に、なぜこうもアメリカ文化が巧みに浸透したのか、についても考察がなされている。それによると、戦前の「文化輸入」は、「もっぱら日本の上・中流社会への流入であり、ふるいにかけられたごく一部が、上から下へ流れるといった図式」だったそうだ。しかし闇市においては、アメリカの日常的なモノが、下級兵士から日本の街娼に流れ、彼女らから闇市に売られ、庶民層に広がる。いつのまにかそれが中流階級に行き渡る。つまり下から上へと輸入されていったのだ。
この本では、文化変容というのは征服型と翻訳型があると指摘している。征服型というのは、本書の例で言えば、「西洋人が南太平洋の島に入り込んで、裸の女性に無理矢理ブラジャーをつけさせる」、つまり相手の文化を問答無用で叩きつぶし、自分の文化を強制的に押し付けるやり方である。これは、元の文化がすっかり消滅するか、徹底的に反抗されるか、という結果になる。
翻訳型は、他国の文化を、積極的に取り入れ、さらに自分たちに適合するように変容するやり方である。これが成立する為には、文化を受け入れる側に、相手国と同じようなレベルの文化がなければならない。つまりドレスを輸入するには晴れ着が必要で、軍隊組織を輸入するには武士の作法、礼儀が必要だという具合である。明治時代の日本がこれである。
闇市は上記2型には当てはまらない。決してそれは押しつけではなかったし、敗戦で何も無かったので相手と同レベルの文化も無かったらしい。つまり言うなれば「闇市型」とでもいうべき、特殊な文化変容のパターンだったようだ。ポイントはやはり、下流層の人たちが積極的に文化輸入に携わったというところだろう。
この話を読んで、イラク戦争の事を連想した。アメリカは、イラク復興のモデルケースとして「日本の戦後復興」を挙げている。しかしそれはうまくいっていないらしい。やはりイラク庶民に最初から、アメリカ文化が拒否されたのでは、アメリカの思うようには復興はできないのではないか、この本を見てそのように感じる。
戦後の日本の場合は、やはりもう単純に、「文化変容は生きのびる為に必要だ」という、決定的かつ自発的な動機が存在したのだろう。なぜその動機が存在したのか、それは僕の無意味な邪推はやめておいて、闇市を経験した人に聞いておきたい。おばあちゃんが生きていれば、聞いてみたかった。