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2004.5.28 日常日記

山形マット死事件、逆転判決

山形県新庄市立明倫中学校で93年1月、1年生の少年が体育用マットの中で死亡した事件の判決が出た。そのとき周りに居た7人の罪を認めたわけだ。もしその罪が認められなかったら、事件の解釈はこうなるらしい。
 
「一年生の少年は、ものをとるために、”自発的に”マットに逆さに入り、死んだ」

う〜む、これはちょっとおかしい。やはり自発的には入りにくいだろう。個人的予測としては、誰かにマットに押し込められたんだろうな。それが今回罪に問われた少年達の行為でなかったとしても…。

決して事件が表ざたにならなくても、校内暴力というのは存在する。少なからず僕も、そういったものを体験したり、見たり聞いたりしてきた。おそらく色んな部分で弱かった人たちは、そういう思い出を持っているものだろう。僕は弱かった。そんな自分が生き残る道は、勉強や芸術といった文化的活動しか無かったのだ。

中学のときの同級生で、訛りを徹底的に冷やかされ、靴に入れられた画鋲を踏んで血を流していた友人が居た。彼は殴られたり物を盗られたりと散々な中学時代だったみたいだが、あのとき笑っていた彼らと、今回のマット事件でおそらく存在したであろう加害者の姿が、僕はかぶって映る。彼らに殺されないと、彼らを裁きにかけることはできないのか。

リリーフランキーがやっているラジオ番組で、「いじめられています」という相談のはがきが紹介されていた。そのときリリーフランキーが言った。「そういうときいじめてる奴ってのは、大概大人になってから交通事故とかで死ぬもんだから」。かなり刺激的な発言だったが、そうであってほしいという妙な願いを感じている自分が居た。そのくらい、青年期の被害者というのはやりきれないものがあるのだと想像する。