ビリヤードを初めてやってみたけれど、あまりにヘタクソで絶望した。
流されるままに、ビリヤードを初めてやってみた。面白かった。元・川崎市民的な発想で言うと、ビリヤード場には、僕がなるべく近づかないようにしているタイプの人たちが、オールスター感謝祭のごとく集結しているイメージがあったのだけれども、気の置けない方たちと一緒に行くと、そういう悪いイメージはまったく消えて、ビリヤードというゲーム自体に集中することができた。
とはいっても、例によって、あまりにヘタクソで絶望した。見かねたビリヤード場のマスターが、手取り足取り教えてくれた。マスターが見てくれているときちんとできるんだけれど、いざゲーム、さぁここで、さっき教えてもらったことをやってごらんなさい、という状況におかれると、手足の末端神経が極度の緊張状態になってしまって、おならの風圧で動かしたみたいな、頼りないボールの速度になってしまい、もはや笑うしかなかった。でもビリヤード場というのは、なんとなく高笑いがよけいに響くような気がして、静かにしていようと思った。
ビリヤード場には、今日行ったところが初めてだったのだけれども、椅子の置き方や、灰皿の感じ、どこかヤニっぽい空気、すべてが良いなぁと思った。あとは、ヘタクソが少しでも直れば、面白い遊びになりそうだ。なんでも、やってみるものだなあ。
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横尾忠則氏がツイッターで、ダリの絵は、人に想像させる余地がないから好きじゃないと書いていて、分かるなあと思った。なぜ比べることになったのか忘れたが、同じシュールレアリストとして、キリコとダリの比較について、高校のときによく考えていた。僕は圧倒的にキリコが好きなんだけれど、やっぱりキリコって、その世界に入っていける入り口がとても広く開けられている気がする。それこそ夢にも出そうで。ダリは絵の中ですべてが完結するイメージがあるので、キリコみたいにどこか遠くに連れて行かれる、という広がりは、僕の中ではあんまり無いなぁ。
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迷ったあげくの、大きな買い物。人にとっては大きくはないのかもしれないけれど、僕の小さな財布には大きな買い物だった。今すぐに必要なものではないんだけれど、これから少しずつ種をまくためには必要なもの。そういう風に言い聞かせて、買った。今年の残りはもう、質素に生きよう。少なくとも、気分が良くなって、気づいたら1万円も飲んでいた、みたいなことはやめよう。