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2011.2.9 日常日記

お茶、それとヴィレバンのエログロ商品自粛のこと。

最近、仕事を始める前にお湯を沸かして、ポットにお茶を入れて、それを口に含みながら作業をしている。ここ1、2年、あまりお茶を飲む機会がなかったから、家にはあらゆるお茶が余っている。それを順番に飲むのが楽しい。特に気に入っているのは、友だちが北京旅行のお土産にくれたジャスミン茶。日本で買うジャスミン茶と違って、それは「お茶」の味なのだ。うまく言えないけれど、そういうところが美味しい。そして沖縄で買ったグァバ茶は不思議な香り、中華街で買った団子になったプーアル茶は、しょうゆみたいな色なのにやさしい風味だ。

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一昨日か昨日くらいから、ヴィレッジバンガードというサブカル系の本やグッズばかり集めている書店から、エロ系やグロテスク系の書籍や商品を撤去することになったという件が話題になった。詳しくはここで流れとその反応が掲載されているけれど、要するに、クレームが来たということだ。その数もひとつやふたつではないというか、それなりに社会的な力を背景にしたクレームだったんだろう。

そうすると、そういうクレームつける奴っているよね、おかしいんじゃないの? 世の中はますます不寛容になっていくなぁ、と、まあそういうジャンルに寛容な人は思う。僕も思った。でも、それでクレーマーとか自主規制した店に文句たらたらして終了、という感じには、どこか違和感もあった。何週間か前には、西武百貨店渋谷店で行なわれていたサブカル系の展覧会が「性的な面で不快感を与える、過激な作品が数点あった」ことでイチャモンがついて、やっぱり中止になった。それはクレーマーの人格的な問題もあるかもしれないけれど、それだけを原因にしてしまうのも違う気がする。

色んな考え方をする人たちがいる環境の中で、あえてニッチなものを売ろうとしたり、出そうとしたりするわけだから、「エロとかグロとかをどこで売ったっていいじゃん。そのことに全員が寛容であるべきだ」という前提は、いつの時代でも、あっけなくくつがえされるだろう。エロとかグロとか、そういうものを取り扱う以上は、それに伴うクレーマーと対峙する知恵と覚悟が常に必要なわけで、それはすごく体力のいる話だと思う。その母体というか規模が大きくなればなるほど、「そういうことが好きではない人たち」に届いてしまう機会も多くなってしまうわけだから、なおさら体力が必要になるのではないか。

そこはやっぱり「サブ」カルチャーなんだと思う。それがすごく好きな人もいっぱいいるだろうけど、すごく嫌いな人もいっぱいいる。そういう宿命にあるジャンルなのだから、そのことに対する自覚がないと継続は難しいということなんだろう。

大麻堂みたいなお店は、たぶん、扱っていることが今の社会の中でどういう位置にあるのか把握の仕方が正確で、かつ多様な批判の中で生きるための頭の良さもあって、かつ大麻に対する愛情が強いから、今日も営業できているのではないか。具体的なことは一切知らないけれど、たぶん、エログロとかよりずっと、反発している人は多そう。サブカル的なものは、規模が大きくなればなるほど、そういう「不寛容」を前提とした中で活動するのだ、という意志が問われるのではないかと思う。