発信者
一昨日は家族で飲んだ。いつも二子玉川とか川崎方面で飲んでいるので、今回は両親と姉に永福町まで来てもらい、イタリアン「La Piccola Tavola」へ。父と母はピザが大好きなので、ぜひここの分厚いピザを食べてほしかったのだ。土曜日の夜に予約していったのだけれども、お店には人がいっぱいで、とても混雑していた。でも不思議なもので、その混雑もまた楽しいなと思った。安い食べ物ではないとは思うけれど、ごみごみとした中で、どのお客さんもガハハと笑いながら、ピザをつつき、ワインを傾ける感じは、どちらかというと大衆食堂的だった。
その後、両親たちと別れ、経堂で飲んだ。
そこで話題になったことのひとつは、どうしてブログとか、ツイッターとかで自己発信するのかという話だった。僕が顔写真まで出して、実名でやっていることは、やや揶揄されているところもあるのだなと、初めて知った。まぁでも僕に関しては、これは自己アピールであり、同時に個人事業主としての営業活動の一環なのだ(その意味では、むしろ最近は営業をサボっているなぁ、笑)。日記で書いていることは、お酒を飲んだとか、そういう話ばかりだけれども、ドライな観点で言えば、僕の個人に関する情報を得るために必要な素材を、小出しに提示しているということに過ぎないし、それを全員に見てくれと強要しているわけでもない。
まぁそういう営業的な面を置いておいたとしても、誰しもが発信者になって、特に社会的目的があるわけでもなく、何らかの思いの丈を出力できるという今の時代は、僕はすばらしいと思っている。それをするために、全員が正当な理由を持つ必要はないし、その上で、発信者になったことで発生する細かい問題について話し合うことも、何らおかしいことではないと思うのだ。またそれとは逆に、あえて「私は発信しない」という選択をすることも、それはそれで良いと思う。TwitterとかSNSとか、そういうメディアが出てから数年、まだまだ黎明期ということで、個人個人の試行錯誤や、選択も本当にさまざまで、その多様さこそが大事だと思う。
要するに、なんだっていいのだ。なんだ、その結論は…。