3月11日を振り返る。
ニュージーランドの地震後、妻や周囲の人たちとは「こういう地震は日本に誘発する可能性はありそう」などと話していて、あらかじめ水や食料などを買い込んでいた。地震発生当初は、正直、思考回路が止まってしまった。揺れ始めて、部屋の中でどこに行くでもなく右往左往していると、阪神大震災を経験した妻が「机の下に逃げよう!」と言ってくれて、そこに隠れた。
揺れが収まったあとは、逆に妻のほうがパニックのような状態になった。そのときは地震の今後の展開などは分からないので、とりあえず、近所の羽根木公園に逃げよう、ということになったのだけれど、妻は空の荷物を持ちながら右往左往していた。二人でいて良かったことは、相手が混乱していると、逆にこちらは冷静になれることで、それなりにコンパクトに荷物をまとめて、羽根木公園へ。あとで知ったのだけれど、あんまりすぐに外に出るというのは、原則的には良くないようだ。公園への道すがら、この行動の意図を口に出しながら整理した。「とりあえず、自分自身が混乱しているから、絶対安心という場所で落ち着きたい。それが終わったら家に帰る」というような感じだったと思う。
公園に着いて少し経つと、2回目の大きな地震があった。個人的には、このとき公園の中心にいたことは安心材料になった。吸ってはいけないんだろうけれど、タバコを吸うと落ち着いた。とりあえずTwitterで「無事です」ツイートをしてから、自分がするべき行動を整理して、家に帰ってからの行動をすべて箇条書きにした。あとはこの箇条書き通りに行動すれば良い。(ちなみにこれは仲間内では「ヒディンクシート」と呼んでいる。2006年W杯でオーストラリア代表を率いていたヒディンク監督は、日本戦で次々と采配を的中させるが、これはあらかじめ想定問答を紙に記していたものを、着々と実行したにすぎないらしい。興奮状態で判断を誤らないようにするための知恵だと思ったので、いろんな局面で採用している。)
家に帰ってから、来るべき余震と、今後インフラに関しての問題が発生することを考えて、浴槽に水を張りながら、棚など、危なさそうなものをすべて再確認。同時に、家族との連絡。ちょうどgmail経由で父親から安否確認のメールがあり、実家に向かっている姉とtwitter上で連絡をとりながら、情報を共有した。TwitterやGmailが災害時に有効であることを実感。過小評価している人もいるかもしれないけれど、情報の共有というのは、人を落ち着かせる。二次災害の防止にも役立つだろう。もちろん、デマの問題もあるけれども。
デマ情報の多くは、自分ができるだけ多くの人の役に立ちたいと思う気持ちに立脚していると思う。だから「拡散希望」などと書いて、多くの人に広まって、それで良かったと安心する。デマを拡散させる人たちに罵詈雑言を浴びせるツイートをいくつも見るけれども、きつく言うことに意味はあるのだろうか。皆よかれと思ってやっているわけで、やさしく冷静に修正してあげてほしいと思った。
Twitterで、知り合いが何時間もかけて家に帰っていることが分かった。つぶやかれたルートから推測すると、僕の家を通過するようだったので、一時休憩場所として使ってもらうことにした。地震直後に炊きまくっていたご飯でおにぎりを作ったけれど、いっぱい食べてくれた。なにより、この状況下ではお話することが一番の安心だ。買い置きしておいたビールを開けた。僕も安心したし、相手も安心してくれたはず。