味
魯菜っていうストイックでおいしい健康料理をつくるおばあさんのドキュメンタリーである。おばあさんはいっぱしの料理人で、中国の料理学校に客員教授に招かれるくらいだから、そりゃえらい大物である。
中国生まれのおばあさんは、日本で魯菜料理屋をやってるけれど、死ぬ前に中国で魯菜のお店を開きたいという夢がある。80歳近いのに夢があるのはすばらしいことだ。だけれども同じ料理人で夫のおじいさんは生まれも育ちも東京だもんで、中国に行くにはかなり抵抗があるらしい。でも一応下見と料理学校の招待をかねて、中国に行くんだけれど、そこの料理学校では、魯菜って料理が若者受けしないからといって、魯菜の名を使いながら全然違う料理を作っている。そんな現状に、おばあさんは愕然としてしまう。
それで、おばあさんおじいさんと、料理学校の校長夫妻が舌戦を繰り広げる。「この軟体野郎めが」「き〜っ言ったわね、この腐れポリデント!」なんて話をするわけがなく、実際は「おみぃら、そんなのぶっちゃけ魯菜じゃねぇ おら絶対魯菜リスペクトしてっからぁ」「ばあさん、そりゃ懐古主義あるよ。料理は時代に応じて変化するンダハスムニカ」という感じの言い合い。言葉尻は主観が入ってますが内容はこんな感じです。
料理学校の校長先生は車の中で常に爆音でダフトパンクを流しているので、かなりニューウェーブな感じで、きっとびんびんなんだろう。そういう時代に対するアンテナがびんびん。まぁ、伝統ってものがあって、それを守る老人に対抗して若人が新しいものを見つけていこうとするという図式は、いつの時代の、どの分野にも繰り広げられたことなんだろうなあと思う。まぁこうなると、どっちが正しいってわけじゃない。どっちも正しいんだろうなあ。
だけれども、この作品はおばあさんが主人公なだけにおばあさんについ情が入ってしまう。料理学校の勢いが圧倒的なもんだから、おばあさんの曲がった背中とかよたよたした歩き方が、すごく孤独に見えて切なかった。おばあさんはたった一人なんだなぁと。おばあさん、たったひとりで「魯菜」っていう伝統と哲学を背負って、なんだかすごく切なかった。すごく後を押して上げれたらと思うけれど、彼女は画面の中にいるから何もしようがないんだよな。思うことはできるけれどね。
そんなときにおばあさんを実際に救っていたのはおじいさんだったな。中国行くの嫌だって行ってたのに、中国のホテルの夜、おばあさんが「ますます中国でやらなきゃいけないことができた」って言うと、おじいさんが「・・・俺はお前と行動を共にするよ」。老人同士の愛というか結束は、ある意味安めぐみよりずっとロマンチックだなと思った。老いってのは衰えと言うこともできそうだけれども、パワーそのものだなと。余計なものを余技落とした、ブランクーシの彫刻宜しく洗練された、純な存在なんだなと思った。