そして人生はつづく
アッバス・キアロスタミ監督の「そして人生はつづく」は、みずからの旅を再現した作品である。この監督の前作「友だちのうちはどこ?」を撮影したコケル、そしてポシュテという街は、1990年に大地震によって壊滅的な被害を受けてしまう。果たして、出演者たち、とりわけ主人公だったアハマッド君は生きているのか? それが気になって、監督は息子とともに、地震の5日後に旅に出る。
旅の再現のしかたにも色々あるだろうが、この作品は徹底的にドキュメンタリータッチである。息子との車内の会話はインタビューのようにも見える。つづいて車外の風景、道のわきを歩いている被災者たちとの会話(これもインタビューのように見える)、これが1時間半ほど、ただひたすら繰り返される。
旅先で出会った人たちや、風景からは、地震の痛々しさが伝わってくる。瓦礫の山が続き、砂煙が延々と巻き上がる。外を歩くおばあちゃんは、聞かれてもいないのに「家族全員が死んだ」と泣き喚く。監督は重い荷物を運んでいる子どもや女性を車に乗せてあげるのだが、そのときも「地震が起こったときの話をしてほしい」と、わざわざ嫌な思い出を掘り返していく。しかし、皆が皆ネガティブなことを言うわけではない。
印象的なシーンがあった。
地震の直後に結婚したという、若い夫婦だ。この夫婦は、地震でほとんどの家族・親戚を亡くした。ふつうなら、喪に服して結婚どころではないはずだ。しかし、結婚したという。「そんなときに、なぜ結婚を?」と監督はしつこく問いただす。すると、新郎はこう答える。
「死は突然やってくる。せいぜい生活を楽しんでおくんだ。次の地震で死ぬかもしれない、そうでしょ?」
※ちなみにこの夫婦についてのことは、次作「オリーブの林をぬけて」で詳細に描かれる。(正確には夫婦”役”のことだが)
こんなシーンもあった。
冒頭の息子との会話で、大地震の当日はサッカーW杯の「ブラジル対スコットランド」の試合があったことが明らかにされるが、なんとある街に行くと、地震直後だというのに、街を挙げてテレビのアンテナを立てている。W杯の試合を見るためである。監督はアンテナを立てている男のところに車を走らせて、問答する。
監督「家族が死んだ人もいるのに、テレビを見たい?」
男「僕も妹と姪が3人死んだけど、仕方ないさ。W杯は4年に1度だ。見逃せないよ」
監督「地震は40年に1度だしね」
男「神の思し召しさ。」
「そして人生はつづく」というタイトル、どこまで原題に忠実か分からないが、その言葉は、あらゆる被災者の姿に当てはまる。この映画によって描かれるのは、どういう状況におかれても、絶望のふちから希望を見出す人間の天性のたくましさである。ラストカットでは、監督が運転するおんぼろな車が、粒のような大きさで、ジグザグの坂を思いっきり駆け上っていくシーンが延々と映される。坂が急でなかなか進めないが、軽快で、嬉しくて、希望に満ち溢れた登り方だ。自分が間近で見た、人間の底堅い強さに向かって、自分も近づいていきたいという、監督自身の力強い決意表明なのかな。
一見地味な映画だが、構成に応じて、砂埃やまぶしい太陽といった厳しい風景から、木々の緑、色とりどりに咲いている花と、映し出される風景が徐々に変化していく。最後の急坂もそうだが、巧妙にイランの気候風土を押さえながら、その土地に生活する人々の暮らしを見つめている。リアリズムに基づいた、しかしダイナミックな作品だった。