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2010.7.14 映画

ひとりで生きる

ヴィターリー・カネフスキー監督「動くな、死ね、蘇れ!」の続編。その後の少年ワレルカと、亡くなった少女ガリーヤの妹ワーリャの話。あまりにも素晴らしかった。これまでこの映画を観たことがなかったことを悔いたけれども、今出会うべきものだったのかもしれない。

前回の映画が、少年的な、反抗期的な衝動を描いているとすれば、今回は主人公の成長に合わせて、青年期の色々な問題を描いている。それは恋愛であったり、孤独であったり、社会との関わりだったり。案の定、少年ワレルカは学校で悪さをしてしまい、警察に追われ、遠くの街で働くことになって、そういうワレルカの行動に、ワレルカのことを愛するワーリャという少女が絡んでくる。

なんだか、悪い夢を見ているような映画だった。ある心情の描写をするときの、シチュエーションや、ロケーションの選択が、あまりにも的確で、全体的に強い既視感を感じた。ストーリー展開というのもあるんだけれども、それ自体が面白い、という話ではない。しかし、その話の流れに乗っかって、畳み掛けるように、隠喩的な映像が折り重なってきて、最後のほうは、けっきょく何が本当で、何が嘘なのか、という事実関係はどうでも良く、とにかく主人公ワレルカの心情は一体どんなものであるか、ということの描写に専念している。

ワレルカは、大人になっていくに従って、ずっと心の中にあった、爆弾みたいな衝動を、もう何か頑丈な箱に詰め込んで、押さえつけるように鍵をかけなければならない。社会との折り合いもつけなければならないし、どこかに居場所を見つけなければならないけれども、あまりに自分の出来が悪いので、帰る家はないことは自覚している。ふつふつとわき上がる不安な気持ちや孤独感を、誰かに埋め合わせてほしいと思うのだけれども、あまりにも余裕が無くて、自分のことで精一杯なので、視界の中に他人が入ってこない。

合間合間に、日本の民謡が挿入される。これは「動くな、死ね、蘇れ!」でもそうだったのだけれども、今回はより執拗に、意味ありげに挿入される。ヤマモトという日本人が、抑留されて、生気を失った目で、登場してくる。特に彼が何を喋るというわけでもないし、民謡を彼が歌っているシーンはどこにもないのだけれども、故郷という足場を失って、それでも生きなければならない、真っ暗なトンネルを光のない方向に向かってとぼとぼ進んでいるヤマモトは、どこかワレルカと境遇が似ている。映画の中で、様々なシチュエーションで、ヤマモトとワレルカは同じ空間に存在させられる。ヤマモトの存在は、ストーリー展開から考えると居ても居なくても関係ないんだけれども、ワレルカにとってこの日本人の存在は、重要なものだったはずだ。

そういう、折り重なる隠喩的な映像のひとつひとつが、最後の「ワレルカの独白」に、すべて結実していく。彼の独白については、できればここで書くよりも、観た人同士で、いろいろ話し合いたいものだ。表面上の余計な小細工をするのではなく、ただ単に、映像と映像を繋ぎ合わせることで表現されるものの奥深さや、魅力を感じさせる作品だった。観終わった瞬間に、はやく、この映画をもう一度、始めから見直したい、または、自分の人生の中で、折りに触れて繰り返し見たいと思った。

2010.7.11 映画

動くな、死ね、蘇れ!

先日に引き続き、下高井戸シネマでヴィターリー・カネフスキー監督の「動くな、死ね、蘇れ!」を観た。びっくりした。ストーリーがどうとか、こもごもを乗り越えて、「すごいもの観たなあ」と思った。

ソビエトの、ものすごく貧しい炭鉱の街に住んでいる少年と少女の物語。少年はわんぱく小僧が行き過ぎて、色んな問題を引き起こして、遠く遠くと逃げて行く。その行動の表や裏に、必ず少女の存在があって、助けてくれたり、一緒に行動したりする。「スタンド・バイ・ミー」をロシア人が作ったらこういう暗い映画になるのかな、と最初は思っていたんだけれども、どちらかというと「大人は判ってくれない」のほうが近い感じがする。どこか、切羽詰まった、なにか爆発しそうな心的衝動を抱えている感じがする。そのモヤモヤした静かな衝動が、映画ではとても輝いている。

この作品は、自伝的な作品だと聞いた。最初と最後のシーンで、「撮影者」の存在がクローズアップされるのは、そういう意味なんだろう。フィクションと、ノンフィクションの、ちょうど真ん中に立っているという感じ。これはフィクションですよ、という宣言は、けっきょく過去や記憶というものは、主観的な現象ですよと言っているようなものだ。その突き放し方というか、距離のとりかたが好きだ。

同じ言葉を繰り返してしまうが、とにかく「衝動」という言葉が頭をめぐる。きちんと喜劇としての基盤がある中で、かなりパンクな(と感じたんだけれども)映像の並びがある。ストーリー展開はあるんだけれども、印象としては映像体験というよりは、音楽体験、といったほうが近いような気がした。とにかく矢継ぎ早に、いろんなものが飛び出してくる感じだ。しかもその中に、静けさと、騒がしさとがあって、たぶん静けさのほうが多いのかなあ、実に緊張感がある。警察に追われながら、物置のかげみたいなところで、少年がタバコを吸うシーンが好きだ。反抗心や虚勢と、おっくうさと絶望が渦巻いている。とても静かなシーンだったが、まさに「嵐の前の静けさ」といった様相だった。