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2004.2.3 映画

リトアニアへの旅の追憶

21年分の映像日記である。ふつう日記はノートに書くだろうけれど、監督は映画が好きだったから、紙に書く代わりに、21年間、フィルムで日記を撮り続けた。カメラを立たせて、笑顔の自分を撮っているくらいだから、ほんとうにプライベートな代物だ。

21年分を丹念につなげているわけではないが、それでも人生の描写ということで、各カットが写真のように短い。

亡命してアメリカに逃げ込んだ彼が、数十年ぶりに祖国リトアニアに帰って母と対面するカットがある。対面するといっても、もうよぼよぼになったお母さんが、カメラの前で恥ずかしそうにしているカットである。大事なシーンだけど、ものの5秒くらいである。セリフも無い。かなりそっけない扱いだ。だけど、この短さに、想像もつかないほど果てしなく長いブランク(母と会えなかった時間)を感じさせる。今までが長すぎたのだ。だから、その瞬間はあっという間に過ぎる。

その後、母の料理をつくる手つきや、ミルクをバケツに汲むカットが矢継ぎ早に繋がれる。そして、監督の声で「もう一度、ママに会いたい」というナレーションが吹き込まれている。きっと、編集しているときは、彼はリトアニアを離れ、アメリカの編集スタジオで、ひとり母親のフィルムを眺めていたのだろう。そして、このよぼよぼのお母さんに会えたのは、これが最後だったのかもしれない。数秒で切り替わる、しかしじっくりと描かれた母の一挙一動が、彼にとってとても大事なものなのだなあと思う。

彼は作品の後半、自分を亡命に追い込んだ戦争に触れて、いやもっと世の中は平和であるべきだというようなことを言っている。昔自分が居た施設の子供を映して「子供たちよ、走れ。かつて自分がそうしたように」と励ましの言葉を贈る。やっぱりもっと母親と過ごしたかったんだろうなぁ。その母親への思いの強さは、「日記」というスタイルをとったことによって、より強固なメッセージ性で迫ってくるなと感じた。

2003.3.23 映画

「A2」

そして、前回の「A」に続き、「A2」である。

この作品はオウム信者が、サリン事件の後、地域住民とどのようなお付き合いをしているかということを追った内容である。しかし、ほとんどの街で、「殺人者出て行け!」の大合唱。起こした事件の残酷さを考えれば、まあ当然の結果なのかもしれない。

しかし、ひとつ例外があった。その街は、オウムに撤退を迫り、施設を監視する地域ボランティア団体があったのだが、長期間監視をしているうちに、オウム信者と仲良くなってしまったのである。からかい合ったり、一緒に写真撮ったり、実際に信者が違う施設に引越する日には、みな別れを惜しんで出迎えに来る始末である。その不思議な光景に、上映会場からも笑いが漏れた。ただ外から「出て行け、出て行け」と鬼の形相で迫っていくよりも、先の街のように仲良くなってしまったほうが、彼らの起こす犯罪を抑止できるのかもしれない。悪だと思ったものを消してしまえばそれでいいという発想は、根本的な解決には繋がらないのではないか。

極論を言ってしまえば、悪なんてこの世から居なくならないわけで、世の中というのはいい奴とか悪い奴とかかっこいい奴とか不細工な奴なんかがそれぞれ秩序や均衡を保ちながら生き合っている。その上手い具合の生き合いかたを、あの街は実現しているような気がした。

「A」「A2」を通して思ったことは、森監督は単にオウムを描こうとしている訳では無いのかもしれない、ということだ。メディアによって一面的に取り上げられている出来事を、自分で見に行って、できるだけ見たまま、感じたままに伝えたいということなのではないか。その対象が、たまたま「オウム真理教」だったというか。森監督の作品は、つねに「マスメディアではこう言っている。しかし…」という語り口で語られているように思う。しかも彼は、マスメディアに対して敵対しているわけではなく、作品の中でしばしば出現する「会社の方針通りに報道せざるを得ないマスコミ」が心の奥で抱えている叫びの代弁者になろうとしているのではないかな、と。 森監督は、そういうことを、「作り手の身体性の刻印や主観の全面的な解放(リーフレットの森監督の言葉より)」によって体現しているんだと思う。