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2015.9.29 日常日記,

「君が僕の息子について教えてくれたこと」が僕に教えてくれたこと

「君が僕の息子について教えてくれたこと」というドキュメンタリーを見たのですが、衝撃的な内容でした。僕の自閉症の人に対する見方が180度変わりました。こちらの番組はNHKが制作し、世界の優れたテレビやラジオの番組などに贈られる「イタリア賞」のテレビ・ドキュメンタリーの文化・一般部門で特別賞を受賞したようです。

内容は、自閉症だがPCのキーボードを通してなら自己表現ができるという東田直樹さんの著書「自閉症の僕が飛びはねる理由」が、いかに世界中の自閉症の子を持つ親を助けたかというもの。この本が、自身も自閉症の子を持つというイギリスの小説家デイヴィッド・ミッチェルさんの目にとまり、翻訳をして世界中で出版されると各国でベストセラーになりました。

まずもってこの本が凄くて、自閉症の人に対する単純な疑問、たとえばなぜ落ち着きがないのか、とか、なぜ目を合わさないのか、なぜ喋らないのか、といった疑問をQ&A形式で回答していくのですが、書いている内容がいたって「普通の思考」なのです。正直に告白すると、ドキュメンタリーを見る前までの僕は、自閉症の人は知能が低い、考える能力がないと思い込んでいました。そうではなく、他の人とまったく変わらずに思考しているけれど、ただそれを外に発信するコミュニケーション手段がないだけ、ということに対する衝撃はとても大きなものでした。番組では次のような一節が紹介されます。

僕たちは、自分の体さえ自分の思い通りにならなくて、じっとしていることも、いわれた通りに動くこともできず、まるで不良品のロボットを運転しているようなものです。

よくは分かりませんが、みんなの記憶は、たぶん線のように続いています。けれども、僕の記憶は点の集まりで、僕はいつもその点を拾い集めながら記憶をたどっているのです。

この本を読んだいろんな国の自閉症の子を持つ親を何人か取材していきます。親は最初は自分の子どものことを理解できず、怒りや否定的感情すら持っていたのですが、この本を読むことによって自閉症の子供の心をちょっとだけ覗くことができ、なにを考えているのか理解できるようになります。そうすると親は精神的に救われたような気持ちになって、子どものことを受け入れることができるようになり、そうすると、それを感じ取った子ども自身の表情も豊かに変わっていきます。

このドキュメンタリーを放送していた番組で、映画監督の森達也さんが「これは発明だ」と言っていましたが、僕もまさにそう思いました。この映像を見る前と後で(あるいは東田さんの本を読む前と後で)、見える世界がまったく変わってきます。この番組や東田さんの本がもっと多くの人に見られるようになると、世の中もかなり変わるのではないかと思いました。自閉症の人のことを理解できるようになると、彼らの得意なところを伸ばしたり、好きなことをたくさんさせてあげたりということができるようになって、それが回り回って家族やいろいろな人を幸せにすることができるでしょう。もし自閉症という症状から離れて考えたとしても、人というのは何かしら問題を抱えているもので、それに対してどう接していき、どう捉えて、どう伸ばしていくのか、と考えると、全部自分のことにも置き換えられるようにも思いました。

現在はさっそく「自閉症の僕が飛びはねる理由」を買ってみて読み進めていますが、やはり衝撃的です。

2011.5.1

「三陸海岸大津波」という本

三陸海岸大津波 (文春文庫)

お借りしていた吉村昭「三陸海岸大津波」という本。

明治29年、昭和8年に三陸海岸を襲った大地震+大津波と、昭和35年のチリ地震に伴う大津波の記録。今回の3・11地震は、1,200年前の貞観地震以来の大惨事などとテレビで言っているのを聞いたけれど、実際には三陸沖には数十年に一度という周期で、大きな津波に襲われ、その度に壊滅的な被害を受けていることが分かる。宮古、田老、山田、釜石、大船渡、気仙沼、女川などという、今回の震災で聞き慣れた地名がたくさん出てくる。リアス式海岸の独特の地形によって、津波の被害を受けるエリアは、ある程度限定されている。

今回の震災で、日本の歴史は大きく変わった、なんていうことを言う人もいる。たしかにそういう面はあると思うけれど、地震と津波に関しては、明らかに周期的なものだし、また数十年後にも襲来する可能性は高い。一度限りの大惨事ではないことが、この本でよく分かる。日本は列島全体が大地震の危険に覆われているわけで、災害とともに醸成されてきたものが日本の歴史であり、その歴史は変わらず継続されているといったほうが正確だと思う。もし今回のことで歴史が変わるなら、それはピンポイントで原発のことを指しているんだろうなと、自分の中で整理ができた。

この本で興味深かったことは、本書で取り上げられたどの災害のあとも、津波に飲み込まれて被災した土地に、変わらず住み続けた人が多かった、という記述である。今の政府も、復興計画では高台に宅地を作って、そこに皆に移住してもらおうというようなおおまかな構想を発表している。こういう発想は100年前でもあったわけだけれども、住民はそれを拒み、海の近くで生活することを望んだ人が多かったという。その背景には色んな事情があるだろうけれども、やっぱり皆、土地と一緒に暮らしてきたということなんだろう。海のものを食べ、海のもので仕事をして、海を見ながら生活している人たちの、自分の土地への愛着というものは、東京に住んでいる人間には分からないものがある。

でも、少し広げて考えてみると、原発の事故が起こって、日本にいる外国人は母国に帰った人が多かったという。放射能汚染に関してもっとも緊張が高かった時期は、日本人でも、いよいよ日本から出るか? または、東京から脱出するべきか? といった話をよく聞いた。そういうとき、実際に(一時的ではなく)東京から離れられるだろうか。家族や友だちもいて、仕事もあって、目には見えないけれどなんとなく落ち着く町を捨てるのには、それなりの決意が必要だ。その決断をする人はいると思うけれど、住んできた町を捨てたくない人がいるのは当然のことなのだと思う。しかも震災の場合は、それが自分のタイミングではなくて、かなり暴力的なタイミングで迫られてしまう。難しい問題だと思った。