keisukeoosato.net

2005.3.29

黒いスイス

黒いスイス (新潮新書)

「黒いスイス」(著・福原直樹)

この本は、背表紙の紹介文が、おもしろさのすべてを表している。

「永世中立国で世界有数の治安のよさ。米国などを抜き、常に「住んでみたい国」の上位に名を連ねる国、スイス。しかしその実態は―。「優生学」的立場からロマ族を殲滅しようと画策、映画“サウンド・オブ・ミュージック”とは裏腹にユダヤ人難民をナチスに追い返していた過去、永世中立の名の下に核配備計画が進行、“銀行の国”でまかり通るマネーロンダリング…。独自の視点と取材で次々と驚くべき真相を明かす。」

もうこれだけで、読みたくなります。スイス、黒い。

でも暗部っていうのは、どこの国でも、掘り返せば出てくると思うわけです。もちろん日本にもいっぱいあるだろうし、日本を批判する韓国や中国にだってあるだろう。逆に言えば「うちは潔癖です」みたいなことを言う国があるとすれば、それはかなり怪しい、疑ったほうがいいということも言えるはずである。

そういう意味で、ここでスイスが選ばれたのは、スイスがほかの国に比べて特別黒いからでは無いだろう。ここで扱われる「スイス」は、ごく平和な国の象徴としての扱いであり、それを読み手に応じて、自国の歴史や文化に置き換えて読むのが、著者の意図するところだろうと思う。

特に日本と関連があるとすれば、外国人労働者の比率が多くなって、ネオナチの勢力が伸びてきているあたりの記事である。今後、日本にそういう問題が起きてきそうな気がする。

2005.3.28

<対話>のない社会

「対話」のない社会―思いやりと優しさが圧殺するもの (PHP新書)

「<対話>のない社会―思いやりと優しさが圧殺するもの」(著・中島義道)を読んだ。これは相当に面白かった。

この人は、あらゆることにイライラしている。この人をイライラさせる原因は、無意味な公共広告や、公共アナウンス、無意味な警告、こういうものをすべて公害とみなし、こういうものを蔓延させる原因として、「対話」することを重視しない教育を挙げている。

著者は電通大の哲学教授らしいのだが、たまたまこの本を読み終わったとき、電通大に通う友人が個展に来てくれたので、聞いてみたら、「うわっ ナカジマかぁ。知ってる、知ってるよ〜」と、かなりけげんな顔をされた。相当、風変わりで、厳しい先生のようである。曰く、調布駅の公共広告やアナウンスにクレームをつけ、放置自転車を蹴り倒しながら大学へ行き、教授会では相手を真っ向から批判し、授業のテストは「口頭試問」で対話しながら進められるetc…ずいぶん伝説の人になっているようだ。

この人の主張していることは、僕がかつて「小中高生のためのよい子シリーズ」で言いたかったこと、まさにそのものなのである。僕が考え続けて、どうにもぼやぼやして人に伝えられなかったことを、この著者は分かりやすく言語化し、訴えている。

この本の内容を「よい子」に置き換えて簡単にまとめるならば、「皆さん『よい子』になりましょう」と先生が言うとき、それは決して、一人ひとりに向けて言われた言葉ではないということである。つまりそれはその場を飾る空虚な言葉でしかなく、生徒もそれを認識しているため、生徒ひとりひとりはその言葉を真摯に受け止めず、黙って聞き流すという行為をすることになる。こうしたことは、駅前に飾られている公共マナーの標語や、井の頭公園でマイクを通じて流れるマナーについてのメッセージや、会議や式での形式的なやり取り・スピーチに繋がっていると、著者は指摘する。

僕は、まだ未消化の「良い子シリーズ」で、学校が空虚な「よい子像」を求める状況において、生徒も空虚な「よい子像返し」を実践することで、その空虚さ自体を暴けないか、と思ったのである。その空虚さというのは、学校で、特に生徒と先生が人間的な交流をしなくても「よい人間的評価」を得られてしまうという悲しさ、怒りである。それは一般的な生徒と先生の関係というよりは、ひょっとしたら、ただの僕個人の経験による悲しさなのかもしれないけれど。

著者は、こうした問題を解決する方法は、ただひとつ、「対話」をすることだ、と提案する。「対話」の詳細については本を読むのが良いが、簡単に言うと「思ったことを素直に伝え合う」である。これは著者自身も実践しており、実例がいくつも掲載されている。その中で、カンニングをした生徒との対話がおもしろかった。その生徒は最初はグレた対応で暴力的手段に出てくるが、著者が辛抱強く対話を続けるうちに「先生に意見を言ってもいいんですか?」となり、「いいよ」の答えから、とつぜん素直になっていく様が描かれている。

すべてが「対話」で解決するわけじゃなかろうが、この著者の勧める「対話」は、一対一で行なわれるのが前提だから、こうしたことが教育において普及することで、例えばひきこもり、いじめ、学級崩壊といった問題を解決するヒントにはなる気がした。