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2005.12.10

ヒトは環境を壊す動物である/誰も書けなかった北朝鮮ツアー報告/ジーコイズム/愚問の骨頂

ヒトは環境を壊す動物である (ちくま新書)

小田亮「ヒトは環境を壊す動物である」

環境問題を考えるに当たっては、まず「人間」について知ることがスタートになるよ、という本である。著者は、科学の進歩は早いが、「人間」の生物学的な状態は石器時代とさほど変わっていないと言う。石器時代の人間とは何かというと、一言で言うと「場当たり的」であるということである。したがって、盲目的に「資源を大切にしよう」と言っても、人間が目下、資源が必要であるという状況に置かれた場合、資源を使ってしまうのである。先のことは考えられない。

しかし「人間」の集団心理を分析すると、自分が置かれた状態についての情報を共有する集団においては、持続可能で長期的に安定した戦略を取り続けるという。著者は、この部分に、環境問題を解く鍵があるのではないかと言っている。つまり「地球規模の情報の共有」である。

ここにきてキーワードに「情報」という言葉が出てくるとは思わなかったが、今なら不可能な提案ではない。

誰も書けなかった北朝鮮ツアー報告 (小学館文庫)

宮塚利雄「誰も書けなかった北朝鮮ツアー報告」

まあタイトルの通り。著者は韓国語が話せるので、現地でできるかぎり勝手な行動を取り、落ちているごみなどを拾い集め、こっそり現地人と会話をしたりする。一般の旅行者にはそんなことはできないので、そういう意味では貴重な本である。また北朝鮮に行ってみたい願望が高まってきた。

著者によれば、やはり中国と北朝鮮の国境付近におもしろい事柄が転がっているようだ。ということは、やはり北京からの鉄道入国しか考えられない。う〜む。

ジーコイズム (週刊ポストBOOKS)

ジーコ「ジーコイズム」

ジーコがますます好きになる。中田英があと4,5人いれば、日本代表も世界で戦える、と書いてあった。

中田英があと4,5人か…。

愚問の骨頂 (新潮新書)

中原英臣・佐川峻「愚問の骨頂」

愚問の構造についての本かと思ったら、科学者による実務的な本だった。かといって期待はずれでもなく、センター試験の問題設定や日常的によくある質問を「愚問」と認定して徹底的に批判したり、逆にメンデル、ニュートンなどが成功したのは正しい「賢問」があったからだと主張して、なかなか面白い。

著者にとっては、とにかく曖昧で包括的な質問は愚問である。質問はより、具体的でなければならない。そして、「正しい設問とは、すでに答えを含んでいるものである」と定義する。それは、そうかもしれない。

ただ僕が何を知りたくてこの本を買ったのかと言うと、人間が愚問を口にする背景が知りたかったのである。この本の内容自体は満足だが、そういう意味では物足りなかった。

2005.8.11

東京闇市興亡史

東京闇市興亡史 (ふたばらいふ新書)

最近読んだ中でもっとも面白かった本は、猪野健治という人の「東京闇市興亡史」という本。

別にトタン屋の絵を描いたからではないが、闇市には興味がある。いまある町や、文化などの源流をたどっていくと、戦後闇市の社会というのは、あるひとつのターニングポイントになっただろうからである。

いま栄えている町の基盤には、やはり闇市があるようだ。たとえば昔から新宿は栄えていたのかもしれないが、戦後すぐ(2日後)には、ある人の呼びかけで新宿にわっさわっさと失業者が集まり、大規模な闇市が広がっていたというのである。そして敗戦8日目には新宿の東口あたりを「新東京の最健全な家庭センターにする」という計画書が出され、中央に歌舞伎座という建物を建てようとしたが頓挫した。これがいまの「歌舞伎町」という名前の由来なのだそうだ。街というのはこういうふうに生まれるんだと感慨深く読んだ。

次に戦争に負けた日本に、なぜこうもアメリカ文化が巧みに浸透したのか、についても考察がなされている。それによると、戦前の「文化輸入」は、「もっぱら日本の上・中流社会への流入であり、ふるいにかけられたごく一部が、上から下へ流れるといった図式」だったそうだ。しかし闇市においては、アメリカの日常的なモノが、下級兵士から日本の街娼に流れ、彼女らから闇市に売られ、庶民層に広がる。いつのまにかそれが中流階級に行き渡る。つまり下から上へと輸入されていったのだ。

この本では、文化変容というのは征服型と翻訳型があると指摘している。征服型というのは、本書の例で言えば、「西洋人が南太平洋の島に入り込んで、裸の女性に無理矢理ブラジャーをつけさせる」、つまり相手の文化を問答無用で叩きつぶし、自分の文化を強制的に押し付けるやり方である。これは、元の文化がすっかり消滅するか、徹底的に反抗されるか、という結果になる。

翻訳型は、他国の文化を、積極的に取り入れ、さらに自分たちに適合するように変容するやり方である。これが成立する為には、文化を受け入れる側に、相手国と同じようなレベルの文化がなければならない。つまりドレスを輸入するには晴れ着が必要で、軍隊組織を輸入するには武士の作法、礼儀が必要だという具合である。明治時代の日本がこれである。

闇市は上記2型には当てはまらない。決してそれは押しつけではなかったし、敗戦で何も無かったので相手と同レベルの文化も無かったらしい。つまり言うなれば「闇市型」とでもいうべき、特殊な文化変容のパターンだったようだ。ポイントはやはり、下流層の人たちが積極的に文化輸入に携わったというところだろう。

この話を読んで、イラク戦争の事を連想した。アメリカは、イラク復興のモデルケースとして「日本の戦後復興」を挙げている。しかしそれはうまくいっていないらしい。やはりイラク庶民に最初から、アメリカ文化が拒否されたのでは、アメリカの思うようには復興はできないのではないか、この本を見てそのように感じる。

戦後の日本の場合は、やはりもう単純に、「文化変容は生きのびる為に必要だ」という、決定的かつ自発的な動機が存在したのだろう。なぜその動機が存在したのか、それは僕の無意味な邪推はやめておいて、闇市を経験した人に聞いておきたい。おばあちゃんが生きていれば、聞いてみたかった。