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2017.11.30 日常日記

自宅で働いているので、夜はほぼ毎日、昼はそこそこの頻度で、食事を担当しています。子どもも離乳食は卒業したので、基本的には大人と同じ食事をします。もちろん生ものは駄目だとか、喉に詰まらせない大きさにカットするとか、塩分調整とか、色々気にしなくてはならないことはあるのですが。

その中で注力していることは、いかに楽に、そして短い時間で作るかということです。極端に言うと「米とかうどんさえ食っておけば死にはしないだろう」という姿勢で作っています。そうすると、ついでに味噌汁くらいはまあ作れるかな、という気持ちになれます。

最近は味噌汁も無意識で作る感じになれたので、主菜や副菜を考える余裕も生まれました。今はごはん系、汁物、主菜副菜をほぼ同時に調理して、だいたい15〜20分で仕上がります。それでも「米さえ食っておけばいい」という考え方は維持しています。なんか凄いものを作ろうとか、4品以上でバランス良く!とか考えると、途端に気が重くなるからです。結果的に色々できた、ということを大事にしています。今日は余裕がないな、と感じたらすぐに惣菜を買ったりレトルト食品に逃げます。

僕の場合は、料理を「仕事の小さなシミュレーション」と捉えています。料理は案外、仕事の段取りや進め方と似ている部分がある気がしているのです。目的地を定めないままフライパンを温めてアタフタしたり。イライラしているときに料理すると、何もかもうまくいかなかったり。きっちり準備をしてから丁寧に調理すると素晴らしい仕上がりになったり。料理から得られる刺激が面白く感じられる日々です。

2017.11.29 日常日記

昨年、姉が亡くなりました。残念ながら自死ということでした。あれから一年ちょっと経ちました。一年で何か変わるかなと思いましたが何も変わりません。僕はおそらくこの事態に正面から立ち向かうことを避けてきました。今現在も避け続けています。

僕と姉だけが共有する体験というものがあります。それは小さい頃から色々ありますが、大人になってからもそんな話を持ち出すと二人で笑ったりしたものです。それらがどうして笑えるのかは、正しいところは僕と姉でしか分からないと思います。しかし今やそれらは、僕がいくら嘘をついても良いものになりました。つまり二人で体験した事実に関して、その都度その事実を担保してくれる存在はもういないわけです。僕がその事実を少し曲げて、もっと皆んなが笑えるような面白い話にしたとしても、きっとだれも気づかないかもしれません。でも、それらが事実であったということが、一番面白いところなのです。それを姉と会うたびにしつこく確認し合う(そして笑う)というのがとても大切なことだったのです。

時間を見つけて、できれば一人きりで、広島に行きたいと思っています。転勤族で住まいを転々とした我が家でしたが、姉と僕は広島で子供時代の大切な時間を過ごしました。そこで姉弟で見た小さな景色をひとつひとつ確認していきたいと考えています。