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2016.10.20 日常日記

音がはずれる

月に一度、近所で「音飲み」という遊びをしていて、楽器を持ち寄ってとにかく適当に演奏しまくるのですが、もう数年やっていますがほとんど上達しません。そもそも上達することが目的ではないので(上達したら嬉しいですが)、うまく弾けなくても楽しかったら全然いいのです。むしろ、下手にうまいと、ちょっとつまらなくね?とすら思います。どうやってもうまくいかない、でも続けているとごくごくたまに奇跡的にすごく良い瞬間がある。「今の録音しておけばよかった!」といつも言ってゲラゲラ笑っています。

ギター率が高い!

keisuke oosatoさん(@keisukeoosato)が投稿した動画 –

僕は音がはずれる、ということも好きなのです。そのおかしみと味わい深さ。間違っているのを正す必要もなく、ずっとはずれていても問題ない。音が外れるってとても面白いことです。同じ音楽を同じメロディで演奏するのはあくまでも西洋の音楽においてのルールである、と、大学の音楽の授業でも聞きました。どっかの国の民族では、同じ歌をせーので歌っても、まったく違うメロディ、まったく違う歌詞を歌ったりするということもあるそうです。

で、たまに、いろいろな人の「下手くそ」な音楽演奏の動画をyoutubeで見るのが好きです。うまくいっていなくて笑えるのですが、見ていて疲れることはありません。たぶん楽しそうに演奏しているからかなぁと思います。でも不思議なことに、そういう演奏でも「聞けるもの」と「聞けないもの」というのがあります。なんでなんでしょう?

僕の好きな動画を紹介したいと思います。

↓これは最初に子供が走るところが好きなんです(演奏と関係ない/でもその後の演奏とリンクしている感じ)。

↓これは映像は違うものを当てているようですが、それが良い味を出していますね。

↓真剣な感じがたまらないです。

これは下手とは違うと思うんですが、ついでに貼っときます。

もはや表題と全然違う趣旨の映像ですが、せっかくなのでこれもついでに貼っときます。
音楽演奏の映像ではこれが一番好きかもしれません。何度見ても泣けてきます。

2016.10.19 子育て日記,日常日記

沐浴の卒業

最近、ついに沐浴用のベビーバスを卒業して、子どもをふつうのお風呂に入れることにしました。通常は生後1ヶ月でそうするようですが、僕の場合はずるずると5ヶ月も経ってしまいました。

そうすると入浴方法もこれまでとは変わってきます。沐浴の場合は僕自身は服を着たまま、子どもの首を片手で支えて(そうすると体が水に浮く)体を洗っていました。一方、一緒にお風呂に入る場合は、まず僕が裸になって自分の体を洗い、その後子どもの服を脱がせ、浴室に入れるという流れになります。子どもの体を洗う時も膝の上で洗う必要があり、これになかなか慣れませんでした。が、まぁどうにかなるものですね。色々試してみて、なんとなく自分の洗いやすい子どものポジションなどが分かりつつあります。僕の場合は対面で抱いて洗うスタイルを取っています。

毎日だいたい夕方に子どもをお風呂に入れることにしているので、必然的に僕も夕方お風呂に入ることになりますが、案外これが気持ち良く、一日の中の良いリフレッシュになっているように思います。その後、夜に仕事をする場合も集中力が少し違いますし、飲みに行くときも銭湯上がりで飲むみたいな気分になれます。

睡眠時間、起床時間、食事の時間などなど、生活スケジュールが必然的に子どもに合わせる形になってきていますが、それはとても健康的で、精神的にも良い影響があるように感じている今日この頃です。

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「うつはどっちかというと肝硬変とかの仲間」という認識に同意します。僕もうつの気があるのですが、もはやこれを完治させるというよりは、それとどうやって仲良くなり、うまく共存しながら日々を過ごしていくかという方向で向き合っています。


仕事でも僕は徹夜は大嫌いですし、できるなら避けたいと思っています。徹夜の背景には、とにかくスケジュールの問題があり、その背後には「ギリギリまで粘ったほうが良いものができる幻想」とか「締め切りをギリギリに設定してもなんとか良いものを出してくれるという幻想」みたいなものがあると思います。つまり徹夜したほうが(徹夜させたほうが)良いことが待っていると思っている人は思いの外多いのです。この記事のように「効率が悪い」ということが広くしっかりと認識されていくと、社会全体が、”自分たちの利益向上のために”徹夜は避けようという流れになるのではないかと期待しています。


たとえば僕と似たような性質の(つまり器用貧乏そうな)、若いフリーランスの人が頑張っていると、報酬は少なくてもいいので何か協力できないかな、と思ったり、そのように行動する時があります。やはりそれは自分の中にある倫理的な部分がそうさせていて、その背後には確かに「市民社会の中の自分」というものを意識しているように思います。また、働き手が定年退職後に、それでも自分のスキルで何かやれることをやりたい、という方が多いのは、やはり、そうした「市民社会」への接続欲求というのが関係あるのかなぁと想像しています。


うーん知らなかった! なんかうまくいかないなぁとは思っていたけれど。最近、10GBくらいのファイルを普通にオンラインで渡したりしますよね。それで僕もこの壁にぶち当りました。


牡蠣しゃぶを食べたい。


本当にこれですね。「裁量がない」時に、仕事がただの「作業」になってしまうのだと思います。一番きついのは「あなたが良いと思うものを自由で作ってね」と指示されるが、蓋を開けてみると「俺が良いと思っているものを君が想像してピタリと当ててくれい!」と言われている、という状態。つまり「自由だけど裁量がない」というシチュエーションですね。これが一番最悪。


「ハゲ=恥」という概念を世の中に浸透させたのは他ならぬアデランスだった、という部分が面白いですね。


僕はずっと一人(または妻と二人)でやっているので生産性を高める努力をしないと生き延びていけません。ですのでそれなりに努力するのですが、それがうまくハマっている「よい循環」のときと、まったくうまくいかない「悪い循環」の時があり、いまは生活環境を含め色々ぶっ壊れてしまったので、まさに「悪い循環」の最中にいます。そうすると廃墟になった町を立て直すが如く、細かいことからひとつひとつ再構築しなければなりません。もともと生産性が低いからそうなっているんだ、と言われたら何も言い返せないのですが。とにかくバラバラにぶっ壊れてしまったものは仕方がない。コツコツ修復していくだけです。