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2015.11.11 日常日記

まともだ…

五輪エンブレムの審査委員をされていた、グラフィックデザイナーの平野敬子さんのブログがとても面白いです。社会問題にまでなった今回の問題を、一審査委員の立場から丁寧に振り返って、何が問題だったのか、今後同じことが起こらないためにはどうしたらいいのか、かなり分かりやすく、整理して書かれています。

たとえば「006 利害優先の土壌」ではデザイン業界団体が内輪で不公正と思われても仕方のない審査をしてデザイナーを評価している実情に対して警鐘を鳴らしています。僕はまわりの人たちとこのことについて話したりすることもたまにありますが、実際にその団体に所属している会員の方がハッキリこうした主張をされているのを僕は初めて見ました。

また「011 秘密保持誓約書という密室」では、審査に入る前に不可解な秘密保持誓約書へのサインを要求されたことが書かれています。結果として平野さんはこれにサインしなかったことで、このブログを書く上での制限を取り払うことができているわけです。結果として審査過程に検証を加えなければならないような事態になってしまったことを考えても、これはナイス判断だったと思いますし、もしそれが僕だったら、同じようにきちんと拒否するだけの志や、適切なジャッジをするだけの正常な判断力を持ち合わせていたかどうか。。

五輪エンブレム問題は振り返って考えると「なんだかなぁ」と思うことの連続だったのですが、今回の平野さんのブログ記事をひとつひとつ読んでいくと、こういう方が五輪エンブレムの審査委員の一人だったということが、今回の問題の中での一筋の救いというか希望のように感じます。異常な状況の中で、きわめてまともで普通の主張・感覚を貫いているところに凄さを感じます。

2015.11.10 日常日記

あこがれを叫ぶあなたに時計は空回り

ミャンマーの選挙がニュースになっています。国内だけではなく外国の多くの目が注がれる中、ゆっくりとした開票が進められているようですが、どういう結果になるのでしょう?(まぁほぼNLDの圧勝と伝えられてはいますが。)

数年前に見たミャンマーのドキュメンタリー映画「ビルマVJ 消された革命」で、自宅軟禁中のアウン・サン・スー・チーさんが家の前に出てくるシーンがあります。当時の混沌とした抑圧的なミャンマーの状況が背景にあるからかもしれませんが(そしてそれが今も同じなのかどうかは分からないですが)、姿を現したときの彼女の神々しさ、気高さというのが、レンズを通していても本当に凄かったという印象があります。あそこまで凄いと、恐れる人が出てくるのも分からなくはない、とさえ思いました。

ニューズウィークの記事によると、このままアウン・サン・スー・チー党首率いる国民民主連盟(NLD)が勝利すれば、スー・チーさんは「大統領よりも上の存在になる」と書かれています。彼女にはイギリス人の子どもがいるため、憲法上、大統領になれないための措置ということですが、果たして「大統領よりも上の存在」ってなんなのでしょう?

僕が高校生の頃に発売された井上陽水の「九段」というアルバムの中に「ロングインタビュー」という曲があり、この歌はスー・チーさんのことを歌っていると言われています。(確かご本人もそう言っていたような記憶が…でも定かではない)

ラジオのマイク スピーチのモード ロングインタビュー
信じる人の言葉が流れてゆく

あこがれを叫ぶあなたに
時計は空回り
満ち欠ける月の彼方に
願いを繰り返す
何度でも

民主化運動の中心になったすごい人は色々いると思うのですが、スー・チーさんは別格のカリスマ性、気品と高貴さ、そして強さを持ち合わせているように思うのは何でなんでしょう? テレビ画面を通した彼女の姿や発する言葉に、思わず見入って吸い込まれてしまいそうになる雰囲気をとても感じさせる詩です。