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2014.8.19 日常日記

真夏の野球観戦

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 ここ数年のお盆は、甲子園球場で高校野球を観戦します。妻がこの辺りが地元だから、ということなのですが、根っからの文化系かつ運動音痴な僕には、スポーツを生観戦するという習慣がこれまでほとんどありませんでした。とはいえ、少年時代は広島で育った関係で広島カープの試合は毎夜テレビで観ていましたし、松坂投手を擁する横浜高校が出場した年の高校野球は興奮のあまり全試合見入ったり、野球は「観れるスポーツ」のうちのひとつです。

 真夏の甲子園で驚いたことのひとつは、「思ったよりは暑くない」ということです。もちろん”思ったよりは”というレベルで、僕の両手は今、ひどい日焼けで、服が擦れたりするだけで痛いです。(日焼け止め対策を一切怠ったことに問題がありました)それでも、直射日光を全面に浴びた、見た目にも暑そうなベンチにおそるおそる座ってみると、ふんわりとした浜風が吹きこんできて、これが案外涼しく、気持ちがいい。さらに、甲子園球場名物「かちわり氷」を200円で買って、首の裏に当てたり、ストローを差して飲んだりしていると、2試合くらいはどうにか観戦できます。(とはいえ、昨日はやはり暑かったですが。。)

 高校野球の外野席は無料なので、ほとんど公園のベンチに座っているのと同じ感じです。5回のオモテくらいにふらっと来て、少し観て、すぐ帰っていく地元のおじさんみたいな方もよく見かけます。僕はお酒好きなので、ぼんやりと試合を眺めながら、だらだらと生ビールを飲むのが本当に幸せです。そういう意味でラフな観戦環境が、自分には合っているような気がします。選手は炎天下の中で大変だと思いますが。

 それと、球場の音が良い。廊下みたいなところをくぐって球場に入った時に、僕の体を360度包むように聞こえる「ワーッ」という歓声は、何度聴いてもぞくぞくするものがあります。各校の応援も管楽器が気持ちよく聞こえてきます。

 プロ野球と違うところは、すぐに状況が一変するところでしょうか。1プレー1プレーを丁寧に処理していかないとけっこうあっけなく1点2点と取られてしまうし、少しでも慢心すると、すぐに悪い状況を迎えてしまう。そういう「試合が動く場面」が特に面白く感じます。

 高校野球には批判が多く、エースの酷使だとか、部活の体罰やいじめだとか、問題は多いでしょうが、そういうのはもちろんやめたほうがいいし、熱中症などの問題の対策なんかもしっかりしたほうが良いと思います。昼間の試合は中断するとか。諸処の問題はあるとしても、いち観戦者としては、高校野球はコンテンツとして案外面白く観てしまいます。

2014.8.10 日常日記

まともさについて

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最近はこれからの働きかた、大きく言うと暮らしかたについて考える時間が多いです。停滞を感じるときにできることは、ぴんと張った膜のどこかに針を刺すように、均衡を破るアクションを起こすこと。そのいくつかの行動のひとつが設備投資で、膜に空いた穴は大幅に減る手元の資金。

そうして届いた新しいPCの設定は、案外時間がかかりました。メモリ増設後のビープ音に心臓が止まりかけつつ(一枚、ちゃんと挿さってなかった)ほぼほぼ終了。この投資が実りある結果をもたらしますように。

できるだけ自分が“まとも”であるように、と考えています。社会的なこもごもの要求やアピールをするには、まずもって自分がまともであることが求められるのではないか、と感じさせられる出来事がいくつかありました。そのまともさというのは、生真面目さとか、自分の行動や選択を束縛するような息苦しいものではなく、多分「後ろめたさがない」みたいなことが近いかなと考えています。小さなセコい考え方や、ちょっとしたズルみたいなことが、長期的に見て、自分の足を引っ張る日が来るような気がしています。それを振り返って、ひとつひとつ問題を修正している日々です。

いま読んでいる東浩紀氏の『弱いつながり』という本には、自分を変えるのではなく環境を変えてみよう、みたいなことが書かれていますが、おそらく自分が今取り組んでいることも同じようなことだろうと考えています。環境というには小さなことが多いですが、ほんの少しずつ、立っている場所を”移動”している感じです。

こうして言葉にするとかなり息苦しい生活をしていそうですが、毎日サッカーゲームしたり焼酎飲んだりしています。サッカーゲームでは監督を解雇されました。現実の逃避としてのゲームの世界で社会の厳しさを突きつけられています。